文:しばたけんじ
(鹿児島大学教員/哲学)
『間違えられた男』(アルフレッド・ヒッチコック1956)は私の好きな作品のひとつである。ところが、監督のヒッチコック本人はあまり気に入っていないらしいのである。『ヒッチコック/トリュフォー映画術』の中でそういうことをいっている。
しかし本人の意見はともかく、見どころは色々とある。まず、始まりの10分ほどがすばらしい。高級クラブで演奏するバンドのベーシストであるヘンリー・フォンダがほとんど明け方に仕事を終えてから地下鉄を使って帰宅するまでを丁寧に見せていくカットのつなぎには非の打ち所がない。
ヘンリー・フォンダが帰宅すると、すぐさま家庭のトラブルが待ち構えている。妻のヴェラ・マイルズが歯の治療でまた金がいるというのである。ついこの前にも家族旅行のために借金したばかりなのに。
主人(ヘンリー・フォンダ)は高給取りではない。妻も別に浪費家というわけではないが、意に反してお金が出て行ってしまう生活になっている。どこかで歯車が狂っていて、それを修復できないがゆえに精神的な疲労がたまっている、そういう主婦である。
ヘンリー・フォンダは治療費を工面するために保険会社を訪れるが、そこで真犯人に「間違えられ」る。ここからヴェラ・マイルズは本格的にこわれてゆくのである。この作品と同じ年にヴェラ・マイルズは『捜索者』(ジョン・フォード 1956)にも出演している。
ジェフリー・ハンターの花嫁役だが、どう見ても男を尻に敷くタイプの女である。ヴェラ・マイルズにはむしろこういう気丈な女の役が合う。実際、ヒッチコックも『サイコ』(1960)では、失踪した妹(ジャネット・リー)の恋人(ジョン・ギャビン)を引っ張って犯人探しをする姉の役に使っている。
そう考えると、『間違えられた男』のヴェラ・マイルズには少し無理があっただろうか。ヒッチコックの不満もこの点に起因しているのかもしれない。